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2015.10.20Information
銀座店では、インバウンドのお客様の購入が他店に比べて多いです。
多い月は、売り上げの30%がインバウンドのお客様ということもあります。
中国の富裕層の方がご購読される【Japan Premium日本自遊行】 9月号に
コシノヒロコのインタビュー記事と銀座店が紹介されました。
<日本語訳>
自分の好きなものに囲まれるのが本当の贅沢
コシノヒロコ氏インタビュー
日本を代表するファッションデザイナーのひとりであるコシノヒロコ氏。その活動は日本にとどまらず、パリコレなど世界のメインコレクションでも発表、さらに1984年には、上海で初めてとなる大規模なファッションショーを開催したデザイナーとしても知られています。
コシノヒロコ氏を長女に三姉妹すべてが有名デザイナーであり、その姉妹を育てた母の小篠綾子氏は、NHK連続テレビ小説「カーネーション」のモデルにもなるほどの有名な方です。このようなファッション一家に育ち、一貫して第一線で活躍、現在はアーティストとしての活動も注目されてコシノヒロコ氏にお話を伺いました。
ーファッションデザイナーとして世界で活躍するコシノヒロコさんのデザインのモットーは?
コシノ 私は、「日本の美」を大切にしたいと思っています。私の祖父は呉服屋でした。その影響で、小さい時から私に日本の伝統芸能である文楽や歌舞伎を見せてくれていました。また、呉服屋だったので芸妓さんともお付き合いがあり、美しい芸妓さんたちに憧れを抱いていました。
日本には「三つ子の魂百まで」という言い方があります。小さな頃に身につけた感覚は死ぬまで持ち続ける、ということですね。私も、この祖父の影響で日本の美を感じる素養ができたのです。私はもちろん、西洋の美も好きで素晴らしいと思います。初めての海外コレクションはローマで行いました。しかし、日本の美にどっぷり浸かりながら育ってきた私には、西洋の美は少し遠い存在であることも確かです。西洋の「洋服」の歴史は非常に長いですが、日本の「洋服」の歴史はせいぜい100年しかありません。ですから、長い歴史により積み重ねられてきた洋服文化という面では、我々は西洋には到底かないません。では、日本にあって西洋にないものは何か、というと、それは日本の民族衣装である「和服」の文化なのです。「和服」は長い歴史を持っています。一枚のフラットな布から、折り紙のような折り方と幾重にも模様を組み合わせる特徴的な着こなし方で独特の美を形成する和服は、世界でも珍しいものです。この感覚も祖父の呉服屋で身につけたものです。
つまり、私には小さな頃からの日本の美への思いから、「美の理想像」が確立されているのです。「日本の美」にプラスしてどんどん外のものを取り込む、根底の美意識にプラスして外からいいものを取り込む、日本+西洋から自分の個性を生み出していきたい、というのがモットーです。この考え方に至ったのも、私には小さな頃から培った日本の美への素養と自分なりの「美の理想」があるからなのです。
ーお母様から受けた影響とは?
コシノ 母から学んだことは、「根性」「諦めない」「人のために尽くす」の3つです。私たち姉妹は3人ともデザイナーをしています。もちろん姉妹ですからライバル意識があります。これは、実は「競わせて成長させよう」という母の戦略なんですね。お互いに切磋琢磨。相手よりも負けちゃ駄目だ、と思ってやってきました。実は、母も自分のブランドを持ちたいという夢を抱き続けていました。そして、ついに75歳で自分のブランドを立ち上げたのです。母のブランドはシルバー向け洋服です。コレクションを見てみたら、なんとびっくり、私たち三姉妹のコレクションのいいところを集め、シルバー向けに直して出していたのです。私は怒って、「どれだけ私たちが自分たちのスタイルを構築するのに苦労したと思っているの。お母ちゃんはいいところ取りじゃない。自分のオリジナルがない」と言いました。そしたら、母に「あんたたちを産んだことが私のオリジナルや」と言われました。(笑)自分も、母がブランドを立ち上げたのと同じ75歳で本格的に絵画デビューをしました。銀座・現代アート発祥の地である西村画廊の跡地にギャラリーを作り、作品を発表し続けています。このようにやりたいことを必死にやる、諦めない情熱というのは、母から学んだことです。一途な強い思いを成し遂げる強さを持っていた母は、自分がやりたかった夢を長女である私に託していた面もありました。私が店を出したい、といったときにはあちこち奔走して助けてくれました。母は、仕事人間で我々家族にとっては「頼れない親」でしたが、他人のためにはとことん尽くす人でした。母が亡くなった時の葬式には、2500人もの人が参列したほどです。さらに、普通、人は亡くなるとどんどん忘れられていくものですが、母は亡くなって5年目でNHKの朝ドラの題材になりました。実は、母は朝ドラが大好きでずっと自分がモデルになったドラマができて欲しいと思っていました。その願いが亡くなって5年後に叶ったんですね。
ー上海でのファッションショーなど、中国のファッション界との関わりから感じた、中国の人々のファッションへの思いはどんなものがあると感じましたか?
コシノ 1984年に上海でファッションショーをした際には、当時パリコレで発表した内容と同じものを持っていきました。実は、このパリコレに参加する際、多数の刺繍が必要だったので、中国の工場にお願いしたのです。中国の方々は手先がとても器用。この工場の皆さんも、親から代々受け継がれてきた表からも裏からも見られる見事な刺繍の技術をお持ちでした。おかげさまで、パリコレでは非常に高い評価をいただきました。この際、「中国の工場の皆さんに、自分たちの刺繍がパリコレで評価されたということをお伝えしたい」と思ったのが中国でファッションショーを開催したきっかけです。ショーでは、中国のモデルと日本のモデル計20名が参加しました。当時のモデルさんたちはショーに慣れていないこともあり、リハーサルを8回もしました。驚いたのは、リハーサリに一回800人が見に来てくださったこと。工場の工員さんたちが来てくれたんです。皆さん、初めて見るファッションショーに興味津々という感じでした。本番は3回開催、一回800人、計2400人にご覧いただき、全国ネットのテレビでも放映、中国全土の方々にご覧いただきました。当時、中国でファッションショーをしたのは、ピエール・カルダン氏が20名ほど集めたクローズドなショーをしたことがあるだけで、このように大規模かつ本格的なショーをしたのは、私が初めて。ですのでその後、中国でデザイナーといえば、ピエール・カルダンとコシノヒロコというほどだったそうです。その後、北京でもショーをし、たくさんの方にお越しいただきました。その際には、当時の北京市長の方に朝食にご招待いただき、「新しいものを受け入れていきたい」というお話をされていて、「この国には、これからどんどん新鮮な風が吹いていくのだろう」と思ったことを覚えています。
ー中国の方々へのファッションアドバイスをお願いします。
コシノ 中国は素晴らしい文化があり、たくさんのいいものをお持ちです。現在は、急速な経済発展により経済面に目が向きがちかと思いますが、今後はお金だけではない、精神文化への関心が高まっていくのではないでしょうか。生活にゆとりがでてきた今、ぜひ中国の良さを客観的に捉えて、より自分にあったライフスタイルを追求していただきたいと思います。日本も戦後、西洋にばかり目を向けていた時期がありました。しかし、自分たちにも素晴らしい文化があると誇りを持つことが大切ではないかと思います。中国の皆さんは、日本人とまったく違った美しさをお持ちです。その美しさを活かすには、与えられるのではなくて、独特のライフスタイルを持つことが必要です。流行っているものをチェックして「これを着ていれば安心」というだけではなくて、ライフスタイルの中で、何が一番自分に似合うのかを知ることが大事なのではないでしょうか。豊かな時代が来て、私たちの周りにはたくさんのものが溢れています。そのなかで整理して、本当に好きなものだけに囲まれ、自分らしいものを凝縮した「究極の普通」というのが本当の贅沢となっていくのではないでしょうか。
(左頁写真キャプション)
近年はアーティストとしても活躍するコシノ氏。自身の作品の前で。
(右下店舗情報)
ヒロココシノ 銀座
東京都中央区銀座4-3-13 和光並木通ビル
TEL : 03-5250-4848
10:30〜19:30(ブティック)
10:30〜19:00(KHギャラリー)
KHギャラリー芦屋
下記URLより予約して観覧。
http://www.kh-gallery.com/ashiya
8月、日本橋髙島屋にオートクチュールも取り扱う店舗がオープンしました。一点ものも取り揃えています。ぜひあなたが「本当に好きになれる」逸品を探しにいらしてください。
自分の好きなものに囲まれるのが本当の贅沢
コシノヒロコ氏インタビュー
日本を代表するファッションデザイナーのひとりであるコシノヒロコ氏。その活動は日本にとどまらず、パリコレなど世界のメインコレクションでも発表、さらに1984年には、上海で初めてとなる大規模なファッションショーを開催したデザイナーとしても知られています。
コシノヒロコ氏を長女に三姉妹すべてが有名デザイナーであり、その姉妹を育てた母の小篠綾子氏は、NHK連続テレビ小説「カーネーション」のモデルにもなるほどの有名な方です。このようなファッション一家に育ち、一貫して第一線で活躍、現在はアーティストとしての活動も注目されてコシノヒロコ氏にお話を伺いました。
ーファッションデザイナーとして世界で活躍するコシノヒロコさんのデザインのモットーは?
コシノ 私は、「日本の美」を大切にしたいと思っています。私の祖父は呉服屋でした。その影響で、小さい時から私に日本の伝統芸能である文楽や歌舞伎を見せてくれていました。また、呉服屋だったので芸妓さんともお付き合いがあり、美しい芸妓さんたちに憧れを抱いていました。
日本には「三つ子の魂百まで」という言い方があります。小さな頃に身につけた感覚は死ぬまで持ち続ける、ということですね。私も、この祖父の影響で日本の美を感じる素養ができたのです。私はもちろん、西洋の美も好きで素晴らしいと思います。初めての海外コレクションはローマで行いました。しかし、日本の美にどっぷり浸かりながら育ってきた私には、西洋の美は少し遠い存在であることも確かです。西洋の「洋服」の歴史は非常に長いですが、日本の「洋服」の歴史はせいぜい100年しかありません。ですから、長い歴史により積み重ねられてきた洋服文化という面では、我々は西洋には到底かないません。では、日本にあって西洋にないものは何か、というと、それは日本の民族衣装である「和服」の文化なのです。「和服」は長い歴史を持っています。一枚のフラットな布から、折り紙のような折り方と幾重にも模様を組み合わせる特徴的な着こなし方で独特の美を形成する和服は、世界でも珍しいものです。この感覚も祖父の呉服屋で身につけたものです。
つまり、私には小さな頃からの日本の美への思いから、「美の理想像」が確立されているのです。「日本の美」にプラスしてどんどん外のものを取り込む、根底の美意識にプラスして外からいいものを取り込む、日本+西洋から自分の個性を生み出していきたい、というのがモットーです。この考え方に至ったのも、私には小さな頃から培った日本の美への素養と自分なりの「美の理想」があるからなのです。
ーお母様から受けた影響とは?
コシノ 母から学んだことは、「根性」「諦めない」「人のために尽くす」の3つです。私たち姉妹は3人ともデザイナーをしています。もちろん姉妹ですからライバル意識があります。これは、実は「競わせて成長させよう」という母の戦略なんですね。お互いに切磋琢磨。相手よりも負けちゃ駄目だ、と思ってやってきました。実は、母も自分のブランドを持ちたいという夢を抱き続けていました。そして、ついに75歳で自分のブランドを立ち上げたのです。母のブランドはシルバー向け洋服です。コレクションを見てみたら、なんとびっくり、私たち三姉妹のコレクションのいいところを集め、シルバー向けに直して出していたのです。私は怒って、「どれだけ私たちが自分たちのスタイルを構築するのに苦労したと思っているの。お母ちゃんはいいところ取りじゃない。自分のオリジナルがない」と言いました。そしたら、母に「あんたたちを産んだことが私のオリジナルや」と言われました。(笑)自分も、母がブランドを立ち上げたのと同じ75歳で本格的に絵画デビューをしました。銀座・現代アート発祥の地である西村画廊の跡地にギャラリーを作り、作品を発表し続けています。このようにやりたいことを必死にやる、諦めない情熱というのは、母から学んだことです。一途な強い思いを成し遂げる強さを持っていた母は、自分がやりたかった夢を長女である私に託していた面もありました。私が店を出したい、といったときにはあちこち奔走して助けてくれました。母は、仕事人間で我々家族にとっては「頼れない親」でしたが、他人のためにはとことん尽くす人でした。母が亡くなった時の葬式には、2500人もの人が参列したほどです。さらに、普通、人は亡くなるとどんどん忘れられていくものですが、母は亡くなって5年目でNHKの朝ドラの題材になりました。実は、母は朝ドラが大好きでずっと自分がモデルになったドラマができて欲しいと思っていました。その願いが亡くなって5年後に叶ったんですね。
ー上海でのファッションショーなど、中国のファッション界との関わりから感じた、中国の人々のファッションへの思いはどんなものがあると感じましたか?
コシノ 1984年に上海でファッションショーをした際には、当時パリコレで発表した内容と同じものを持っていきました。実は、このパリコレに参加する際、多数の刺繍が必要だったので、中国の工場にお願いしたのです。中国の方々は手先がとても器用。この工場の皆さんも、親から代々受け継がれてきた表からも裏からも見られる見事な刺繍の技術をお持ちでした。おかげさまで、パリコレでは非常に高い評価をいただきました。この際、「中国の工場の皆さんに、自分たちの刺繍がパリコレで評価されたということをお伝えしたい」と思ったのが中国でファッションショーを開催したきっかけです。ショーでは、中国のモデルと日本のモデル計20名が参加しました。当時のモデルさんたちはショーに慣れていないこともあり、リハーサルを8回もしました。驚いたのは、リハーサリに一回800人が見に来てくださったこと。工場の工員さんたちが来てくれたんです。皆さん、初めて見るファッションショーに興味津々という感じでした。本番は3回開催、一回800人、計2400人にご覧いただき、全国ネットのテレビでも放映、中国全土の方々にご覧いただきました。当時、中国でファッションショーをしたのは、ピエール・カルダン氏が20名ほど集めたクローズドなショーをしたことがあるだけで、このように大規模かつ本格的なショーをしたのは、私が初めて。ですのでその後、中国でデザイナーといえば、ピエール・カルダンとコシノヒロコというほどだったそうです。その後、北京でもショーをし、たくさんの方にお越しいただきました。その際には、当時の北京市長の方に朝食にご招待いただき、「新しいものを受け入れていきたい」というお話をされていて、「この国には、これからどんどん新鮮な風が吹いていくのだろう」と思ったことを覚えています。
ー中国の方々へのファッションアドバイスをお願いします。
コシノ 中国は素晴らしい文化があり、たくさんのいいものをお持ちです。現在は、急速な経済発展により経済面に目が向きがちかと思いますが、今後はお金だけではない、精神文化への関心が高まっていくのではないでしょうか。生活にゆとりがでてきた今、ぜひ中国の良さを客観的に捉えて、より自分にあったライフスタイルを追求していただきたいと思います。日本も戦後、西洋にばかり目を向けていた時期がありました。しかし、自分たちにも素晴らしい文化があると誇りを持つことが大切ではないかと思います。中国の皆さんは、日本人とまったく違った美しさをお持ちです。その美しさを活かすには、与えられるのではなくて、独特のライフスタイルを持つことが必要です。流行っているものをチェックして「これを着ていれば安心」というだけではなくて、ライフスタイルの中で、何が一番自分に似合うのかを知ることが大事なのではないでしょうか。豊かな時代が来て、私たちの周りにはたくさんのものが溢れています。そのなかで整理して、本当に好きなものだけに囲まれ、自分らしいものを凝縮した「究極の普通」というのが本当の贅沢となっていくのではないでしょうか。
(左頁写真キャプション)
近年はアーティストとしても活躍するコシノ氏。自身の作品の前で。
(右下店舗情報)
ヒロココシノ 銀座
東京都中央区銀座4-3-13 和光並木通ビル
TEL : 03-5250-4848
10:30〜19:30(ブティック)
10:30〜19:00(KHギャラリー)
KHギャラリー芦屋
下記URLより予約して観覧。
http://www.kh-gallery.com/ashiya
8月、日本橋髙島屋にオートクチュールも取り扱う店舗がオープンしました。一点ものも取り揃えています。ぜひあなたが「本当に好きになれる」逸品を探しにいらしてください。